我が家の次女6歳、ずいぶん前にアマゾンビデオで「まんが日本昔話」をひとしきり見ていた時期があった。
怖おもしろかったようだ。
ある日見ていたのは「三枚のお札」。
やんちゃな小僧が和尚さんのことばに耳を貸さず、山へ栗ひろいに行ったはいいが、山姥に食われそうになって和尚さんからもらっていた三枚のお札を使いながら命からがらお寺に逃げ帰る話。
食い入るように画面を見つめる娘。
「ヤマンバ・・・コゾウ・・・」
それからというもの、和服姿でちょっと髪にボリュームのあるような人をどこかでみかけると「ヤマンバ」と言うようになった。
そして先日、私がヤフーのニュースを眺めていると、奈良の大人気マスコットの「せんと君」の姿が目についた次女が一言。
「コゾウ・・・?」
うちの次女に限らず、世の中はこの手の現象でいっぱいだ。
一部のルールをその他全体に当てはめて考えてしまう。
そう、読んで字のごとく、過剰に一般化するから過般化だ。
英語を習得中の子供は
edがついたらどうやら過去形を表すらしいというルールを早々発見する。ただ、不規則動詞がちゃんと使えるようになるのはこのフェーズを過ぎてからが一般的。
うちの娘も今だに間違えるけど
go→goed
eat→eated
のように、なんでもかんでもとりあえずedをつけて過去形を表すというもの。
ドナルド・トランプはごく一部のラティーノを取り上げてその他大勢の善良なラティーノをドラッグディーラーやレイピストなどとのたまう。
マナーの悪い一部の若者を見て「最近の若者は・・・」と眉間にシワ寄せながら苦言を呈すテレビのコメンテーター。
一部のモンスターぎみのペアレントのことをその他大勢の良識ある保護者とひっくるめて「最近の保護者は・・・」と語りたくなる校長先生。
私も無意識のうちに同じようなこと色々やってしまってるところがあるなぁ。