ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

ベルギーはイーペルのネコ祭りに行ってきた

3年に一度開催されるベルギーのイーペルという町で行われたネコ祭りを見てきました。

Welcome! | Kattenstoet Ieper   ←祭りのHP

祭りの目玉は3時間近くに渡るパレードと、その後のネコ投げ(世界遺産にも登録されている鐘楼からネコのぬいぐるみを投げて人々がそれを取るというもの)、そして祭りの最後を飾るのはその名も「魔女の火あぶり」。


この祭りの歴史は古く、途中戦争で一時中断されたものの1938年まで遡るようです。
まず会場で何に驚いたかというと日本人観光客の多さ。どこを見ても日本人、日本人、日本人。保健所で殺処分されるネコの数の多さを考えたらそれほどネコ好きが多い国とは思えないのだけど、とにかくこういう祭りが好きな国民性なのかな(そういう私も日本人)。
祭り会場付近のホテルの人曰く、この日だけでもそのホテルに160人の日本人客が泊まってるとかで、他の国からはだいたい10人前後が平均というのに対して16倍。秋葉原を彷彿とさせる気合いの入った奇抜なネココスプレをしているのもだいたい日本人。他の国の観光客から写真撮影を頼まれててにこやかにそれに応じていました。

 

この祭りが開かれるベルギー西部のこのイーペルという町は第一次世界大戦で激戦地となったところで、ドイツ軍による大規模な毒ガス攻撃があった場所。祭り会場の広場正面には戦争博物館があり常設展示の他にこの時は毒ガス攻撃の特別展がやっていました。この祭り、ネコ祭りという楽しい響きとジャジーなダンスの数々が繰り広げられると同時に、随所で戦争の犠牲者を悼み平和への願いを込めたパフォーマンスや展示が見られました。そんな中登場した日本人グループによる「ねこ踊り」には度肝を抜かれましたが。「にゃーご!にゃーご!ソレソレソレ・・」軽快なお囃子(?)が楽しかったです。

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至る所で飴やらキャラメルやらもたくさん投げてたんだけど、我が家の席は最後列だったため届かず。子供たちは最後の最後にその辺に落ちてるのを(まさにおこぼれ)一つ拾って大喜びしてました。

 

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↑パレードの途中、サプライズで後方の茂みから雄叫びとともに現れたネコ。

 

 

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一通りパレードが終了すると、次の目玉の「ネコ投げ」に移ります。あまりの人ゴミに危険を感じた夫と次女は遠くの観客席から高見の見物を決め、どうしても参加したいと譲らなかった長女とその付き添いの私で人ごみにもまれながら待つこと30分。始まって5分で避難しなかったことを後悔しました。日本の餅投げの餅が半分になって群衆が5倍になったような状態を想像していただけたらと思います。正直言って怖かった。ラグビーの試合ばりにジャンプしてネコをつかもうとする大人げない大柄な男達。時にはネコのぬいぐるみが引きちぎれんばかりの引っ張り合い(注:大人)。誰もまわりのことなんて気にしない、そこはまるで無法地帯でした。

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↑塔の上から群衆をあおる。声が大きいほうに投げるよ〜、的なジェスチャーをするもんで、大声合戦さながらの雰囲気。

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長女を説得して退散を決め、人ごみをかき分けて群衆の外に出ようとした時に限って、ネコがこちらに飛んできました。人の波におされ、あやうく転倒しかけたところ誰かの指だか何かが私の髪の毛に引っかかり、「ぶちぶちぶち!」という音がして数本抜け(切れたのかな)ました。近くにいた中国人の留学生グループの一人が運良くネコをキャッチして、直後に「これ中国製なんじゃないのか」って言ってタグをチェックしてたのが面白かったです。そのあと、西洋人のカップルが「この子迷子よ!」と叫んで幼児を抱きかかえて群衆に見せてました。ネコを取るのに夢中で子供がいなくなったことにも気がつかない親も出現。しかもその子は日本人。近くにいた日本人男性が肩車してその子の親を探しに行って(今思えばあの場での肩車っていうのもたいがい危険だなと思いますが)、幸い無事に見つかったようでよかったです。

 

 

 

このあとは祭りのフィナーレを飾る「魔女の火あぶり」。若い女性が魔女裁判にかけらている様子の寸劇を(悲痛な女性の叫びを15分以上マイク越しに聞くことになる)見たあと、女性がダミーの人形と入れ替わり、火あぶり台に火がつけられて燃え盛る炎を見ながら祭りは終了。

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翌日、車で20分ほどの場所にある戦没者の墓地(tyne cot cemetary 

Tyne Cot - Wikipedia, the free encyclopedia を訪れました。場所を聞こうと思って戦争博物館の人に「戦没者の墓地に行きたいんですがどのあたりですか」って尋ねたら、「この辺はお墓が本当にたくさんあるから、どこの墓?」って言われたくらい、実際車で走っているとあちらこちらで墓地を見掛けました。墓標に書かれた言葉を長女に説明してたとき、カナダから来たという女性がやってきて、カナダの国旗と彼女の地元の電車のピンバッジをくれました。聞けば、ご主人とともに週末ごとに各国の墓地を訪れて バグパイプの演奏をしているとのこと。イギリス、オーストラリア、アイルランド、カナダ、他にも様々な国の人たちが眠るこの墓地には世界各国から人々が訪れているようです。彼女のご主人の奏でるバグバイプの音は、静閑な墓地を厳かな雰囲気で包んでいました。

 

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ちなみにこの墓地には対ドイツで戦った連合国の人々が眠っているのですが、4つだけドイツ軍の兵士のお墓もありました。墓標の形が他と違うのですぐにわかるのですが、敵対していた国の戦没者が同じ墓地に眠っているというのはヨーロッパという土地の歴史の複雑さと深さを思わせます。

 


あと、ベルギー滞在中感じたのが、老若男女問わず複数言語を話せる人が本当に多いこと。トイレの待ち時間に地元のおばちゃんと話したら、ベルギー国内だけでもオランダ語(正確にはオランダ語のベルギー方言みたいなものらしいけど)、フランス語、(若干の)ドイツ語圏があるようで、それ加えて学校では英語を勉強してるので普通に3〜4カ国語を話す人たちがごろごろいる。そういう地理的条件がゆえに戦争の被害も大きかった場所ということを考えたら複雑な思いがするのだけど。

 


このイーペルという町は、ヨーロッパでの日本でいうヒロシマ、ナガサキ、のような位置付けにあたるそうです。祭りの次の日に戦争博物館の前を通ったら学校単位で見学に来てる学生さんたちを多く見掛けたし、墓地にも同様の学生集団がいました。逆に、前日の祭りまであれほどたくさん見掛けた日本人観光客はぱったりと姿を消し(多くはブリュッセルへ移動した模様)、まだ前日のゴミが散らばる道路で祭り会場を撤去するトラックが走るのがなんだか切なかったです。

 


もし今後またこの祭りを見に行く機会があれば、もっとゆっくりこの町を散策してみてみたいです。

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↑鐘楼の上からの町の眺め