ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

香港国際映画祭に行ってきた

3/28から4/7まで、香港国際映画祭が始まっています。

チケット、ぎりぎり入手できた日本映画を二本、観てきました。

 

一本目は「ゴールド・ボーイ」。

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監督と、主演の岡田さんが来場されて、上映後に会場と質疑応答の時間がありました。

壇上の岡田さんに一生懸命に手をふる私の前方にいた観客の女性。最初は少し岡田さんも視線を向けて微笑むような場面もあったものの、その後も頻繁に繰り返される「手ふり」にしまいにはおそらく意図的に、目線を逸らしてた岡田さん。質問も、よかれと思って日本語でされる方もちらほらいたけれど、なかなか質問の意図がくめず、通訳から「広東語でもう一回言ってもらえる?」と返されてた。

(一方で監督の回答も、日本語でも私にはあまり理解できなかった。)

イケメンであることはある意味でそこばかりに注目があつまって「大変だろうな」と全然関係のない私にそんなこと思われたくもないだろうけど、なんとなく、そういうものを感じた。映画から何を感じたか、どんな疑問がわいたか、自分にとってどんな意味があったか、そんな感想や質問は出にくいだろう。

ちなみに私もぜひ聞いてみたいことがあったので、最後の数回、勇気を振り絞って挙手をしてみたが残念ながら指されることはなかった・・・。今度は小学一年生ばりに、まっぐに手をあげてアピールしなければと思いました。

 

 

そして、昨日。「夜明けのすべて」を観てきました。

 

原作を読み、ある程度どんな質問をしたいかを考え、どの辺の席を陣取り、いかに目だつように手をあげるか事前にイメトレをしたにも関わらず、この日は30分前に着いていたけれどなんと通された場所が2階席でした。(質疑応答に参加できるのは一階席のみ。前回はもっと早く来た。)

自らの気の緩みに激しい後悔😫

でも仕方ないので2階席のせめて前方の席に座りました。

 

映画の前にも監督が来られて、「Enjoy the Film!」と一言。会場大盛り上がり。

 

映画は、原作とは大幅に変更しているところも少なくないものの、原作のもつ雰囲気や人々の関係性はかなり忠実に再現されていた。

主人公がパニック発作を起こしたときの、会社のみんなの様子、彼の背中をさする手、この作品の人々の関係性、コミュニケーションの中に通底するこの「温かさ」の正体は何なんだろう。

同情でも共感でもなく、かといって偽善や、ありふれた「やさしさ」というものでもない。それを言葉で表現するとしたらいったいそれはどんな感情なんだろう、ってずっと考えてる。

 

小説より一人ひとりの抱えるものがわかりやすく、描写されてたのが映画版。精神疾患だけでなく、身体的な障害、大事な人の喪失体験、アイデンティティ、子育てと仕事、たいていの場合、その人がうちに抱えている生きづらさは他人からは見えにくい。

 

上映後の質疑応答のなかで、映画冒頭にある「五年間」の空白、飛躍についての質問があった。

 

監督曰く

五年間の飛躍が重要だったのではなく、身近な人は知ってるけどぜんぜん縁のない人が多い中で、PMSを抱えている主人公が前の会社でどういうことがあったのか、どういう暮らしをしているのか、丁寧に最初の状況で説明したかった

主人公たちの現在の職場である会社はおそらく「特別」なのであって、多くの人にとっての現実は、転職前の藤沢さんの置かれていたこういった環境に近いものがあるんだろうなとも思う。

またそれだけでなく、この空白の前後には”パンデミック”があったという設定とのこと。

 

監督ご自身、この空白の期間についての質問は初めて受けたとおっしゃっていたけれど、今回の質疑応答は全体的に聞いていてとても興味深かった。

この質問にしても、私なんか「5年後・・・」というテロップを見ても、あー、5年たったんだな、くらいにしか感じなかったことで自然に(たぶん作り手側の狙い通りに)すんなりその設定を受け入れちゃってたけど、その「自然な流れ」にしか見えなかった1シーンに「なんで?」と思った人がいて、それを聞かれた監督が、そこに込めた思いを言語化してくれたとき、「あぁ!そういうことか」と、その空白にもまた意味があったんだなと、妙に感心というか納得してしまった。

 

最後に、「病気の描写が少ないようだったけれど、他とどのようにバランスを取っていましたか?」というような質問があがった。

 

監督曰く

映画の中で何度も発作をおこしたり病気のことをたくさん描くのはやろうと思えばできるけど、それは避けたかった。なぜなら病気を利用して物語にわざわざしているような感じ、病気をサスペンスの爆弾のように使ってハラハラどきどきするような、そういう映画にしたくなかった。

重要なのは、そういったものを抱えた状態で、どうやって幸せに生きていくか。

その瞬間というより、そのあと、さらに、その後にどうする、っていう、「その後」が問題だった。

会社に入ってから二人がどんなコミュニケーションをとって、どうやって自分らしく生きていけるかっていうことにフォーカスをあてた。

 

この回答は、この映画の本質をついてるように思う。

映画全体を通して、主人公たちはじめ、さまざまな人たちのコミュニケーションそのものを映し出していたってことか。

移動式プラネタリウムの中の暗闇、突如起きる停電、一方で、部屋や会社のオフィスに差し込むやわらかい日差し、電車もバスも飛行機も乗れない山添くんが眩しいほどの陽光の中で自転車に乗ってる様子、暗闇の中、目をあけるとそこに広がる無数の星座たち。

夜明けの前が最も暗い、という言葉も引用されてたけど、光があるところには、そこにはいつだって暗闇も表裏一体のものとして存在してるはず。暗闇を暗闇のまま抱える、生きる、その中で模索する、より幸せに生きてく方法を。

パニック障害PMSのように、他者が抱える見えにくい生きづらさを、その人がなんとかやっていけるように、よりたくさんの人が、ちょっと「手伝う」ことができれば。

その暗闇の中で星座を見つけたり、徐々に白んでくる空に気が付くことができるのかもしれない。

 

そんなことを思いました。

全体を通してとてもリズミカルに、それでいてどこか心の底に語りかけてくるような映画でした。隣の席の人たちがところどころでめっちゃ涙をぬぐってる様子が感じられて、「あぁ、きっとこの人たちも何かを抱えてるんだな」って、一緒に乗り切っていきましょう、あなたもわたしも一人じゃない、って思えた時間。

 

とってもいい映画だった。

おすすめです。

 

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