ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

「バベルの塔」はいくらでもあるというダブルスタンダードについて

この記事を読んで思うところがあったので一言。

 

 

先日、ローマを訪れたときに法王の写真やらマグネットやらがジャニーズの商品ばりにお土産屋さんに並んでいるのを見て驚愕した。

法王の人柄と、信念を貫く行動及び言動は色んな記事でかじり知るだけでも尊敬に値すると心から思う。ただ、今回の記事に関してはちょっと思うところがあった。

 

原発事故を「バベルの塔」になぞらえ警鐘 ローマ法王

ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は20日、バチカン(ローマ法王庁)で日本カトリック司教団と会談し、東日本大震災で起きた福島第一原発事故などを旧約聖書の「バベルの塔」になぞらえ、人間の思い上がりが文明の破壊を招くと警鐘を鳴らした。

 

まず、原子力発電所の事故を持ち出して「バベルの塔」と言うのは頭にハテナマークがいくつも浮かんだ。だって、そんなん言ったら、航空機事故なんてどうなる。世界中を飛び回る法王御用達の航空機だって、いわゆる「想定外」の事態が起きる可能性がないとはいえないし、それゆえ現に昔から今も航空機の事故では多くの命が失われ続けている。そういう意味では航空機事故だって人間の力の及ばないものの一つだろう。人間の力を超えたものを作り出そうとすることを「奢り」や「思い上がり」というなら、「飛行機危ないからやめよう!あんなの奢りだよ。」って誰も言わないのはなぜだろう。

 

昔、うちの地元の中学の先生で反原発運動に熱心な人がいて、生徒たちに原子力発電が持つネガティブな情報のみを渡して電力会社へ抗議の手紙を書かせていた(今あのようなやり方をしたら問題になると思う)。それで、学校に電力会社から原子力発電についてのパンフレットが送られてきたんだけど、その先生は「説明には納得できないものが多いけど、電力会社に(パンフレットを送るという)行動をおこさせた!」と大変満足していらっしゃった。ただ、その数年後、その先生のご主人が飲酒運転で逮捕されたという話を小耳に挟んだときに、世の中の多くの人間がもつ「ダブルスタンダード」というものについて考えさせられた。何がよくて何が悪いというのを自分にとって都合のいいものと悪いものとでわけてしまっているのに、自らのそのダブルスタンダードに気がついてさえいない。

 

この先生の場合は、「安全」というものと「命」というものに対するダブルスタンダードだ。今思うと、先生は反原発運動と同じくらいの情熱を持って身近な家族へ飲酒運転撲滅キャンペーンを繰り広げるべきだった。(私は世の中の妻というものは自分の夫が飲酒運転に対してどれくらいの意識を持っているかというものはだいたい把握していると思う。)この世の中はこの手のダブルスタンダードで満ち満ちている。いや、ダブルどころかトリプル・クワトロスタンダードだ。

 

それに「バベルの塔」の話になぞらえるなら航空機のほうがたいがい神さまが嫌がりそうなもんだけど。だって、せっかく世界のあちこちにバラバラに送った人間を航空機は彼らの好きなところに運ぶわけだし、語学や技術の向上のために留学するときに最も使われる交通手段も飛行機なわけだから。

 

司教団の岡田武夫・東京大司教などによると、法王は「人間が思い上がり、恣意(しい)的な動機で自分に都合のいい社会を作ってしまう。自分のためになると思ってしたことが自分を破壊する結果になっている」と指摘。文明を破壊する最たるものとして兵器の製造・輸出を挙げ、「そこが莫大(ばくだい)な富を得ているのが問題だ」と述べた。

 

次に、「文明を破壊するもの」として兵器をあげてらっしゃるのはごもっともですが、その兵器を使って人を殺す動機に「宗教」が深く関わっていることが多いという現実に対する法王の考えも同時に誰かに質問してもらいたかったです。それに「宗教」というものが「莫大な富を生んでいる」という現実にもおそらく大きな問題があるはずです。(バチカン美術館のコレクション一つとってもバチカンの持つ莫大な富が垣間見えます。)

 

最後に、記事中で一つ気になった言葉の使い方について。

 

「人間が思い上がり、恣意(しい)的な動機で自分に都合のいい社会を作ってしまう。

 

という部分ですが、朝日新聞の記者さん、「恣意的」という言葉の意味を勘違いされているのではないでしょうか。一部辞書には「恣意的」=「自分勝手なさま」のようにのっているものもあるようですが、あくまで「恣意的」というものは「無作為」「論理的な意図がない」ことが前提の概念だと思うので、「自分に都合のいい社会を作る」ための動機が「恣意的」であることはまずないと思います。英語のほうの記事を確認したところ"egotistical motive"になっていたので、これは「自分勝手な動機」のほうが適切だと思われます。わざわざ括弧付きの難しい言葉を使わずに、もっと読者にわかりやすい、そして内容のある記事を配信してくださることを期待しています。