ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

「責任とりたくない病」の蔓延がもららす悲劇について。

マレーシアの航空機が突如姿を消してしまってから既に一週間がたとうとしている。日々、マレーシア航空や政府に対しての非難は大きくなっているようだ。

マレーシア航空機不明 捜索で混乱続き、国際的な批判高まる

<マレーシア政府の官僚主義>

この問題についてマレーシア政府の閣僚らは沈黙を守っている。

 

「消息不明になって最初の2日間は大混乱だった」と明かすのは、捜索活動に詳しいマレーシアの国防当局者だ。この当局者は、他の省庁と情報を共有するにも多くの許可を求めなくてはならなかったとし、「官僚主義的であったために遅れたことを認めざるを得ない」と述べた。

 この記事を読んでて思い出したことがある。元米国務省で、日本でも在沖縄総領事などの要職につき、日本人の妻を持つケビン・メアの「決断できない日本」という著書の中に書かれていたことだ。東日本大震災の際にアメリカが実施したトモダチ作戦においてアメリカ側をひどく苛立たせたというエピソードについて。

トモダチ作戦において、震災後アメリカ側は日本側にすぐさま支援リストを送ったという。すると、日本はそれに対し、Yes, Noではなく、なんと長々とした質問リストを返したというのだ。例えば、原発事故に対して無人ヘリの支援を申し出れば「ヘリが被爆したときの保障はどうなるのか?」などの質問が返ってくると、これらのようなやりとりに2〜3週間要したというのは本当に驚きだった。

日本社会ではコンセンサスが第一、みんなにうかがいを立てて、みんなが同意すればその一人一人が抱えるであろう責任だって分散されるわけで、緊急時においてはその意識はなおさら高くなるのかもしれない。でも、致命的に時間がかかる。

確実に言えるのは、そんな人たちに緊急時のリーダーシップなんてとれるわけがなく、結果として救助や支援が後手後手になりかねない。救える命だって救えない可能性が出てくる。

今回のマレーシアの対応も、日本のこういう体質と同じにおいがする。体質というか、もはやこれは慢性的な「責任取りたくない病」がもたらす「悲劇」以外の何者でもない。

たちの悪いことにこの病気は緊急時になればなるほど、責任が大きくなればなるほど、私たちの中に蔓延するようだ。

 

東日本大震災の際に宮城県の大川小学校で津波にのまれて犠牲になった子どもたちの遺族が、市と県に対して提訴したというニュースを読んだ。

【3.11】大川小学校、未解明の謎 津波到達までの「空白の50分」に何が起きたのか

このときに、校庭に集められた子どもたちの津波到達までの「空白の50分」が問題になっているが、これは校長という最高責任者が不在の中で、決められた避難マニュアルもない中、どこにどのように避難すればよいか「決断」できる教員がおらず、それこそ「コンセンサス」を求め「話し合い」もしくは、どこかに「おうかがい」をたてていた結果の悲劇という部分が少なからずあるのではないかと思う。何が起きたのか、ではなく、何も起きなかったが故の最悪の結果ではないか。遺族の方たちがおっしゃっているように、これは明らかに「人災」であり、その犠牲として多くの未来ある子どもたちの命が失われたのではないか。

 

前出のケビン・メアの著書の中にこんなフレーズがあった。

 

Not deciding is deciding.  決断しないことが決断になっている。

 

 

その結果のもたらす犠牲の大きさを私たちはもっと認識して動かなきゃいけない。