ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

ばあちゃんの注射の話

うちの母は今年78歳になります。

3年前に道でこけて、両腕骨折+腰を痛めて地元(九州)の病院にかれこれ半年くらい入院していました。

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この子の散歩中にこけて、リードが外れた犬はこけたばあちゃんを放置したまま一目散に家までダッシュ。ボロボロ血まみれのばあちゃんが心配して家に帰ったら玄関の前で座って待っていたという。。。

 

東京の病院に転院して人工関節の手術をすることになり、しばらく埼玉の我が家で同居生活をしていました。

その時から、骨粗鬆症の治療でフォルテオという注射を打っていたのですが、物忘れが激しいため、週に1〜2回は打ち忘れていました。

土地勘のない埼玉で何度も道に迷い、誰に聞くこともなく汗だくになって自力で帰ってきたものの、心配して探していた私の目に止まったのは、巨峰を持って歩いているばあちゃん。

 

私:「え、巨峰買ったん?」

 

母:「うまそうやったけん」

 

迷った後に無事帰り道を発見して、途中で店によって買い物までしてきたらしい。

 

そんなばあちゃんも今年の5月に地元に帰ったのですが、埼玉で介護保険を利用した時には「要介護2」だったところが、地元では「要支援2」になりました。

利用できるサービスは減ってしまったけど、とりあえず実費でいいから今まで通りのルーティンで生活できるようにしてもらいました。

 

帰った当初は慣れた土地、家、人々という環境がばあちゃんにはやっぱりよかったのかなと思っていましたが、やはり変わったのはばあちゃんではなくて、「ばあちゃんの状態のアセスメントの仕方」だったのかなと思う出来事が最近ありました。

 

包括支援センターの担当の方からの電話がかかってくる時は毎回不安な気持ちがよぎります。以前、かなり細かいことも私に電話がかかってきて判断を求められることがあったので、生死に関わることやサービスの変更など大きい変化がある時以外は私より母本人と話し合って決めてください、って言っておいたから、「あー、何かあったのかな」と。

案の定、

 

「〇〇さん(うちの母)、最近短期記憶が弱くなっているようで・・・」とのこと。

 

あんなことを忘れてました、こんなこともわからなくなったようです、ということを列挙した中に、

 

骨粗鬆症治療の注射を打つ時にですねぇ、打った後はシールを貼るようにしているんですが、シールを貼っていなくて打ったか打っていないか覚えていないことがありました。って話をヘルパーさんから聞きました。シールがないときはヘルパーが一緒に打つんですが、もしかしたら2回打ってしまっているのではないかと心配な時があるようです。」

 

結局のところ、飲み薬もあるので、骨粗鬆症治療は注射から服薬にしてはどうかとの相談でした。

 

でも、前の病院で治療の効果としてはやはり服薬よりも注射のほうがはるかに高いからということを何度も聞かされていた身としては(実際数値も改善していたので)、はい、そうですねとは言いにくく、以下の点を聞いてみました。

 

・例え週に1〜2回打ち忘れたとしても、服薬よりも注射の方が効果が高いのならうち忘れること前提で続けてもいいのかなと思ってます。その辺、どうですかね。

 

それで、その日の夕方返ってきた答えが以下。

 

・医師に確認したんですがぁ、注射にこだわる必要はないとのことです

・注射をしていたら、こけないというわけでもないので

・打ち忘れが心配というより、ヘルパーが2回打ってしまうことのリスクの方が心配なんです

・もしあれでしたら、長谷川スケールとかの検査も必要かなと思うんですが、デイとかでやってもらっても大丈夫ですか

 

 

は?

誰が注射にこだわった?

注射をして転倒が防げるなんて思ってる人はいなくて、こけるの前提で、こけた時の怪我がよりマシな状態になるように、ってための注射だと思ってましたけど。

「もし注射2回打って何かあって責任問われたくないので、服薬にしてほしいです」

って、言えばいいじゃん。

打ったかどうか、ばあちゃんがわからなくなってたら、ヘルパーさんには打ってもらわなくていいですから。

 

結局、相手は何が言いたかったかというと、

 

「じゃぁ、服薬に変えてもいいですかね?」

 

って。やっぱりそこが聞きたいだけでしょうよ。

 

「そのほうがメリットがあるならそうしてください。でも、本人とまず話をして、本人がどう考えているか確認してもらえますか」

 

って言っておいた。

 

その日のうちにばあちゃんに電話して状況聞いてみたら、ばあちゃん自身には何も話がされていなかったという。

なぜ本人を飛ばして私に相談?

できないこと羅列して、遠距離に住む娘を不安に陥れている自覚ある?

なんのために「地域包括支援センター」って名前がついてるんだっけ?

 

ばあちゃんができること、まだたくさんありますよね。

物忘れが激しいって言っても、実際、忘れても大丈夫なことって多くないですか。本当に忘れたらいけないことってどれくらいありますかね。

できないことばかりに目を向けるより、ばあちゃんの強みになること、ばあちゃんが楽しいと思ってること、ばあちゃんがまだまだ自分でできていること、やりたいと思っていること、そのために今困っていることはないか、あればどんなサポートができるのかを考えてもらいたいです。

 

ってことを言ったら「よくわかりますー」って。

 

どの口がそれいう?

 

この日の晩にばあちゃんに電話をして、

「最近また物忘れ激しくなっとる?」

って聞いてみたら、

 

忘れるのは、普通やけんなぁ〜。色々忘れることはあるけど、あんまり深刻に考えとらん。

 

この言葉聞いて、はたと思った。

それ、すごい健康的な考え方だなって。

 

「問題」っていうのは、それを「問題視」する人がいて初めて問題になるって、社会学だか何かの授業で読んだ気がする。

 

 

この状態で認知症の検査をして「はい、やはり認知症です」って診断がついたところで本人はどう思うだろう。

その時、離れて暮らす私にできることって何だろう。

正直先のことを考えると不安はいっぱい。

 

でも、老いとうまく付き合いつつ、ばあちゃんはばあちゃんの好きなように生きてほしいっていうふうに思ってる。