ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

日本では妊娠中でも電車で座れないことが普通だったけど、アメリカで子育てしてみて感じたこと。

最近、境治さんの

赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。 | 境治


「赤ちゃんにきびしい国」のつづきとか補足とか~12万いいね!の理由~


という記事が話題になっている。

私自身、出産は日本で経験したのだけど、妊娠後期になってお腹もかなり重くなっていた時期でも、バスや電車でつり革にしっかりつかまってコケないように注意して立っていなければならなかった経験がある。てな話をママ友達にしたら、少なからずみな同じような経験をしたことがあると聞いて驚いた。
そう、日本では妊娠8ヶ月の大きいお腹を抱えた妊婦が揺れるバスや電車のつり革を必死につかまって立っているということが普通に起きている。そんな経験をしていたからか、アメリカに来てからの子育て環境のギャップに驚いたことがいくつかある。

まず、子どもの手をひいて道を歩いているときに声をかけられることの多さについて。
日本で子連れで歩いているときに声をかけてくる人といえば、8割が世話好きな感じのおばちゃん、おばあちゃんだろう。それが、こちらではその幅がぐっと広がる。言ってみれば、老若男女問わず色々な人が声をかけてくれた。特に、二人の子どもの手をひいて荷物を抱えて歩いていたときなど、その傾向は顕著になった。あるときは、後ろから突然いかつい外見のおっちゃんがニコリともせずに「何か手伝えることはないかい」と声をかけてくれたり、下の子を抱っこした状態で長女を連れて横断歩道を渡ろうとしたときは、見ず知らずの若いお姉さんが長女の手をひいて一緒に渡ってくれたり、デイケアに行く途中に大荷物抱えて子ども連れて歩いてたときには「荷物持つの手伝う?」っておばちゃんが声かけてくれたり、子ども二人連れた状態で土砂降りの雨に降られて雨宿りしてたときなんかは、若いお兄さんが自分が持ってた傘を差し出して「これ持ってっていいから使って」と言ってくれたり。まさに若い人からお年寄りまで男女問わず助けてくれる。

もちろん、アメリカでも子連れで嫌な思いすることもあるだろうし、日本のほうがいい面も確かにある。それでも、アメリカのほうが子育てしやすい、と感じる日本人の母親が多いことの一因としてはこういうところも大きく影響しているんだと思う。実際に何かを手伝ってくれた、とか席を譲ってくれたとか、そういう実質的な部分というよりは、子育て中の母親に対する人々のさりげない「気遣い」が「子育てしやすい」と感じさせる大きな要因にもなっている気がする。
(加えて日本では狭い道を猛スピードで走ってくる車や自転車にも気をつけなきゃいけない。かつて何度チャリにベビーカーごとひかれるかとヒヤヒヤしたことか。そういう心配も道が広いアメリカでは少ないのも確か。)

だから、私自身この記事を読んで「いいね」ボタンを10回くらい押したくなった。別に子どもを持つ母親じゃなくたって、誰でも誰かに優しくされれば嬉しいし、自分が嬉しかったことはまた他の人にもしてあげたいと思うもの。そういうポジティブな思いやりが自然に社会全体に広がっていったらいいな、と心底思う。

また、こちらではドアを次の人のために押さえておくという光景が日常的に見られる。デイケアの入り口のドアで、4才くらいの子どもが私のためにドア押さえて待っててくれてたことも何度もあり、「あ~、親がしてるのを見てるんだな」と思って感心した覚えがある。
飛行機の中で赤ちゃんが泣いてるのを見て舌打ちする親を見ていれば、その子もまた同じように赤ちゃんに厳しい大人になる可能性が高いし、バスの中で妊婦や体の不自由な人を見かけたときにすぐに自分の席を譲る親を間近で見続けた子どもはきっと大人になったときに同じことをする。でもそういうロールモデルを示すのが必ずしも親である必要はないし、今の子どもたちを取り囲む大人たちがいかに思いやりの連鎖を作ることができるかということも大事なことだろうと思う。

・大きなお腹の妊婦がバスに座れないような国で赤ちゃんが増えるはずがない
・父親が育児にろくに参加できない国で赤ちゃんが増えるはずがない
・保育所の足りない国で赤ちゃんが増えるはずがない
・子育て辛くて相談に行った先の保育園の園長から「専業主婦で子どもと一緒にいられることは本当はぜいたくなこと」なんて説教くらうような国で赤ちゃんが増えるはずがない→(経験済み)

う~ん、それにしても応用の効くタイトルだ。

ちなみに日本であったことで今でも強烈に覚えていること。病院帰りに大声で泣き叫ぶ長女に手を焼きながら歩いてた夕暮れ、突然どこかの民家からおっちゃんが出てきた。そして、私と長女のほうへ向かって走ってくる。とりあえず死ぬほどびびったので娘の手を引いて逃げた。すると追っかけてくるおっちゃんが何か叫んでいる。
「おじょうちゃん、これあげる、いいにおいするで」
と娘のほうに差し出されたおっちゃんの手にあったものは、一粒のキンカンだった。

驚いて固まり、動けなかった長女の代わりに私がお礼を言って受け取った。
娘に渡すと「ほんとだ、いいにおいする」と言ってついさっきまで泣いてた顔に笑顔がもどった。

そんなこともあったんだ。
おっちゃんありがとう、ってあのときは本当に心が温かくなったよ。