ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

心温かな医療が欲しい件

我が家のケース


長女が1才数ヶ月だった頃、ふと気がついた。娘の笑い方が何か変だ。なんだか顔が歪んでいるように見える。よくよく見たら、顔の半分の筋肉が動いていない。すぐに病院で見てもらった。

診断の結果は、顔面神経麻痺。検査の結果、「原因不明」とのこと。でもこの場合は「原因不明」のほうが予後がいいと言われた。なぜなら、脳のどこかに腫瘍ができていてそれが神経を圧迫しているなどの原因があれば、その治療というのはおそらくかなり大変なものになるだろうと。逆に原因不明のものは時間の経過とともに自然治癒するものがほとんどだ、という話だった。

何もしなくても治る場合が大半だけれども、まれに麻痺が残る場合があるとのこと。医者がこの時に言ったことは、「もし薬の服用(ステロイド剤)をしなくて万が一麻痺が残った場合、あのときやはり服用していたらよかったと後悔が残る可能性を考えると、効果があるかどうかは実際のところ不明ではあってもとりあえず服用してみることをおすすめします。」

こう説明を受けてもなお、「いや、効果がはっきりしないのであれば薬の服用による無用なリスクは避けたいのでこのままで様子を見ます」なんて言える親がいるとはあまり思えないし、実際私もそれに同意して薬を飲ませることにした。

ステロイドを服用すると感染症の恐れが出てくるため、何かあったときすぐに対処できるよう入院することになった。当時私は下の子を妊娠中で、4ヶ月だった。

入院で何がしんどかったって、大別すると次の3つ。

(1)検査のための採血や点滴がなかなかうまくいかず、恐怖で泣き叫ぶ娘を見てられなかった。親は処置室から出され、娘は拘束具で手足をとめられ、「パパ~!!ママ~!!」と泣き叫ぶ声だけが聞こえる。
本当に拘束具の使用は適切だったのか、なぜそばで励ましてあげることすら許されず強制的に親を外へ出すのか。

(2)検査時間の長さもこたえた。検査一つ一つの時間よりも、検査と検査の合間の時間の長いこと。その間、飲まず食わずで待つ。もうじき呼ばれるかなと思うこと数時間で、子どももさすがに疲れてくるし、お腹もすく。そこで、「お昼まだなんですけど、何か少し食べさせていいですか」と聞いてみたら、「もうすぐ検査なので、今のうちにすぐ食べてください」と。慌てて旦那が何か買いにいくも、帰ってきたときには既に遅しで結局食べられず。もっと早く私も聞くべきだったのだけど、「おなかすくだろうから、今のうちに何か食べさせてあげてください」との一言があってもよかったと思うんだよ。

そういう一つ一つの小さな不信感や配慮のなさが積み重なって、それでなくても辛い入院生活が更に辛いものになるという悪循環。あまりに病院やあたる医者、看護師によって差がありすぎる気がする。


(3)検査に向かうエレベーターの中、ストレッチャーに乗せられた子どもと親の目の前で夜勤明けなのか単に眠かったのか、悪びれもせずあくびを堂々とし、見るからにだるそうな看護師。

小児病棟のナースステーションのすぐ近くの病室。消灯後に看護師同士で談笑する声が響き渡る。机の開け閉めの音もまたひどく激しい。

眠れなかった・・・

私が妊娠中だったから神経質だったのか、看護師たちが無神経だったのかわからないけど、それでも配慮に欠けることが多すぎた。
そして決定打になることが起こった。あろうことか、入院後半になって病院内で感染症にかかったのだ。嘔吐と下痢を繰り返す長女。一度めの嘔吐の際、看護師にすぐに伝えたところ「食べ過ぎたのかな。」と、何の処置もなし。その後まもなく二度目の嘔吐は私が抱っこしていた時。親子で汚物まみれ。さすがに医者に相談に行く看護師。「体を洗って着替えたいんですがシャワー使わせてもらえますか」、と頼んだところ「5時過ぎてしまったら、決まりでシャワーが使えないんです~」
そんなアホな。目の前の状況見て判断してよ。

私:「でも・・・」と食い下がると、
看護師:「あ~、そうですよね。ちょっと待ってくださいね、聞いてきます」

ゲロまみれのまま呆然と待ちぼうけをくらう私と娘。

看護師:「大丈夫です。シャワー使ってください~」てな感じの軽いノリで許可がおりた。

(3)娘が嘔吐下痢を繰り返したのは退院2日前。同じ病室で、うちの子の前のベッドで入院していた子も同じ症状に。その子はすぐに別の病室に移された。診察に来た医者に気になって聞いてみた。「・・・ちゃんも嘔吐下痢がひどいって・・・ちゃんのお母さんから聞いたんですが」
医者:「そうなんですか?いや、僕は知りません」

知らんわけないやろ。

うちの子の感染症にしても、それについての原因や説明はいっさいなし。退院当日になって、私と夫にも同じ症状が出た。こんなに近くにいて移らないわけがない。でも、医者曰く「薬も、ビオフェルミンくらいしか出ないので、家で安静にしてください。」

退院後、家族全員で寝込むというやるせなさ。本当にきつかった。私は妊娠中だったし、こんなことなら入院なんかさせなきゃよかったと心底思った。

なんのための医療なんだろうな。リンカーン風に言えば、「病院の、医療者による医療のための医療?」
なんのこっちゃ。
神戸の基幹病院の小児科でこの医療の質。

幸い、娘の麻痺はもう残っていないけれど、これがもっと大変な病気だったり、生死に関わるようなものだった場合、このような病院の対応や医療者の態度というものは確実に患者や家族に二重の苦しみを与える。

作家の遠藤周作氏は「心温かな医療運動」というものを実践されていた。彼自身、長期にわたる入院や手術を繰り返してきた人なだけに、いろいろと思うところがあったのは彼のエッセイなどを読むとよくわかる。

「心温かな医療」・・・

病院を去るときに、患者もしくはその家族、が医療者に対して心から「ありがとうございました。お世話になりました。」って言える病院が一つでも増えることを願ってやまない。

ただ、そのためには医療従事者の過酷な労働環境が改善されることもまた必要なことは間違いないけれど。