ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

傷跡に関する余計なお世話について

先日、健康診断で近所のクリニックへ行ってきた。

そこでコミュニケーションについて考えさせられる出来事があったので備忘録として。

 

そこは介護付き住宅に入っているクリニック。

正味、そこの住宅は非常に高価なことで有名で、設備も豪華。

私はその住宅とは何も関係ないのだけど、とりあえず近場だということで選んだだけ。

 

警備員のチェックを受け、エレベーターでクリニックの入っている階へ。

血圧に始まり、身長、体重と続く。

体重、家で計ってた体重を申告していたが実際そこで測ると本当にほんの少しだけ軽くなってた。

看護師「一応、服の分を引いてるんで・・・」

私「あ、そうなんですね」

看護師「でも、こっち書いときますね。軽いほうがいいですよね。」

「あ、そうですね!」って言った後で若干考えた。

 

続いて視力検査。

 

メガネをかけたままするのか、裸眼か、確認すべく看護師さんに尋ねた。

 

私:「あの〜、メガネしたほうがいいですか」

 

看護師:「私は目の検査をするだけなのでどちらでも構いません。どれくらい見えるか検査したいだけですから」

 

え。。。

 

目の検査したいだけ、って、視力検査に挑もうとしてる本人にそんな自明なこと言う?

 

 

そしてここからが本題。

 

最後に医者が聴診器で胸の音を聞く。

 

これまた爺さんの医者。

 

その際、首元にある10年以上前にしたバセドウ病の手術痕を見るなり一言。

 

「傷跡がもっと綺麗に治るといいですね」

 

は?

 

余計なお世話じゃい。

 

ケロイド体質にしては「綺麗に治った方」というのが皮膚科医の先生たちが口揃えて言うくらいの傷跡です。これ以上はもうカバーマークで隠すのが一番、とまで言われた傷跡です。「むしろこれ以上どうしたいですか?」とまで聞かれたことがある。

今回だってあんな医者に言われなくても私が一番治したいと思ってて、それが叶わないから今に至ってるわけで。

 

超余計なお世話以外の何物でもない一言だった。

 

私は傷跡はあまり隠す努力はしていなかったので、時々同じ傷を持つ人たちの目に止まって甲状腺談義に花が咲いたりします。

先日も犬の散歩中、うちの犬が保護された犬で譲渡会でもらってきたという話になった時、相手の方も里親経験の方で、それはそれで話がいろいろと盛り上がった。それから、ふと先方が突然こんなことをおっしゃった。

「失礼ですが、もしかして甲状腺の手術なさった?私もなのよ。私のはもっと大きいんだけど。」

と言って、巻いていたスカーフを外して傷跡を見せてくださった。

 

いつもこういう時不思議だなと思うのだけど、この、ある意味「同じ傷を持つ」者同士の連帯感というか、年も何も関係ない、「仲間」のような感覚。その関係では、「傷が綺麗に治るといいですね」、なんて発言はまずない。だって、それはずっと消えないっていうのはみんな分かってるから。そんなことより、話す価値のあることはたくさんあるわけで。(とりわけ甲状腺は専門病院に患者が集中するので同じ病院にかかってるってことも多いからいろいろと話題は尽きない)

 

 

その傷を持っていない人が傷を持っている人に対して

「傷跡、もっと綺麗に治るといいですね」

と言う。

 

それって、やっぱり、余計なお世話以外の何物でもないと思うんだよね。

 

いろんな意味で。