先日の某チェーン店のうどん屋さんでの出来事。
注文したメニューについてきたレモンを一瞬見て、「あれ?」と思った。
めっちゃ絞られてる感がある・・・
でも、人間というのは不思議なもので、まぁ、そんなはずない、と自分に都合のいいように考え、少しだけ絞ってみたものの、やっぱりすでに絞り尽くされてるレモンからフレッシュな果汁が滴るわけがない。
釈然としない思いを抱きつつ、特に気にはしていなかった。
でも、食べ終わる頃にふと私の頭の中で色々なイマジネーションがコンコンと湧き出てきた。
もしかして、誰かほかの人が使ったのとか使いまわしてるんじゃ・・・
めっちゃ口に入れてかじりまくった後のレモンだったらどうしよう・・・
お金払ってなんでこんな心配してんだ私。
うどん自体はすでに完食した後だったけれども、この不安を家に持ち帰る訳にはいかない。意を決して店員さんに聞いてみた。
すみません、このレモンなんですが、なんか、最初からこんな感じで絞り尽くされてる感じなんですが、使いまわし、とかじゃないですよね。
あの、もううどん食べちゃったんでいいんですけど、確認だけしたいので・・・
困惑気味の表情を浮かべる店員。
少々お待ちいただけますか。確認してまいりますので。
何をどう確認するのかと思ったけれど、結局うどんもってる人に聞きに行ってた。
その本人がやってきて曰く
レモンを切って入れるときに、間違えて入ってしまったみたいです。
申し訳ございません。
なぜに使用済みのレモンがそこにあって、それを客の皿に入れてしまうのかという疑問は全く解消されなかったのだけれど、そこからのこちらの言葉が見つからなかった
あー、そうなんですね・・・
不安げにも見えるが有無を言わさぬようにも思えるその店員の眼差しを受け、やり場のない怒りが店を出るときからじわじわと沸き起こる。
食べちゃったし、早い段階で言えば新しいものに変えてもらえたのに、という、「言わないものが悪い」的発想の転換、いや責任の転嫁が私を苦しめ、黙らせる。
でも、そもそも、これは謝って済む問題なのか。
たかがレモン、されどレモン。
なぜその使用済みのレモンがそこにあって、それが私の皿にもられることになったのか、ここの説明がすっぽ抜けてることは問題ではないのか。
そして、私と店員のやりとりを他の客が興味津々に見守る中、やはりまたその疑念を口にできなかった私の方がなぜか敗北感を感じるというこの矛盾。
世の中は「言わなきゃ得られない」もので溢れている。
レモンひとかけらの安心だって。