ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

ユニバーサルデザイン研究って?

以下、某ユニバーサルデザイン研究学会なるものに参加するにあたって感じたことです。

 

まず、早期申し込みで3000円のオンライン参加費を支払いました。

その後、大会参加者専用ページへのリンクが送られてきましたが、パスワード付きのそのサイトにアクセスすると、以下のページが現れてしまいました。

パスワードを何度も間違えたということもなく、初回からこのアクセス拒否されました。

 

 

そこで、大会事務局あてにメールを送って、原因の対処について指示をあおいだところ、

「大変申し訳ありませんが、事務局では・・・様がご覧になっているページが再現できませんでした。もう一度ごじしんの環境が落ち着かれましたらアクセスをお試しください。」

 

との返事。

「ごじしんの環境が落ち着かれましたら」って、、、って?
やさしい日本語ならぬ、これはただの曖昧な日本語じゃないか。

 

具体的に「環境がおちつかれましたら」の意味を具体的に教えてほしいというのと、アクセスできない場合に返金の手続きをお願いしたいとメールをしたら

 

大会事務局のほうでホスト設定も含めて全て確認しておりますが、特に問題はなく、他の参加者からもアクセスできないというご連絡は受けておりません。

「ごじしんの環境が落ち着かれましたら」というのは、ごじしんの端末ないしはネットワーク環境に由来する問題であると考えられるためです。

「環境が落ち着く」にそんな意味があったの初めて知りました。

 

さらには、↑の場合は、こちらの問題であるため返金には応じないということが書いてあった。

 

試しに旦那の端末からやってみても同じ結果だっただけに、もしかして海外からのアクセスが拒否されてるんじゃないかと思った。

この後、何度かログイン試してみて、パスワード入れたあとにオンライン用じゃなくて会場参加者ページにログインしてみたらなぜか入れたという意味不明なことも起きたり、そのあとはなぜかこのページが現れなくなって普通にログインできるようになってた。

ホスト設定でログイン制限が解除されたんじゃないかと思ったんだけど、先方は「何も問題がなかった」とのことだから、なぜか、突然ログインできるようになったという不思議。

 

でもこの時に感じたこと。

 

発達特性のある生徒たちって、先生からは「他の子たちにはこの方法で大丈夫だった」って言われ続けてきたわけで、「他の参加者からログインできないという連絡はない」=「事務局側には問題はない」っていうのが、「もしかしたら他にも同様の問題を訴える参加者がいるかもしれない」という発想が全くないのがさすが「ユニバーサルデザイン」(?)を研究されてる団体だなと正直申し込んだ3000円分の参加費でいい本の一つでも買えばよかったと後悔した。

 

さらに、基調講演の際にもかなりテクニカルな問題が起きていて、動画の音声が流れなかったり不具合が多かった。そのたびに事務局の方らしい人がせっせと講師の先生のパソコンで作業している様子をぼーっと眺めつつ、「もし、ページにアクセスできないと訴えたのが、私ではなくてこの講師の先生だったとしたらあの事務局の人は私に送ったのと同じ文面で返事をするのだろうか。」と思わずにいられなかった。

 

ワードプレスの管理画面へのログインが拒否されたって、画面のスクショも送ってるんだから少しくらいその原因を先方で調べてくれてもいいんじゃないか。(実際ネットにはその原因けっこう載ってた。これ、たぶん設定側の問題じゃないか。)

ユニバーサルデザインと合理的配慮っていうのはそれこそ車の両輪のようなもので、情報へのアクセスがそれこそ文字通り拒否されてるって参加者に対して「あなたの問題なのでおちついたらもう一度試して」ということの理不尽さに一人モヤモヤと考えこんでしまった。

 

それで、とりあえずはウェビナーに入ることができて、発表やラウンドテーブルを視聴しながら見た感想。

基本的に、どの発表(基調講演はとても素晴らしかったし、今の学校教育の現状に一石を投じるものだったけど、そのあとに続く発表はこの基調講演の方向性とは確実に違う方をむいてた。)にしても「インクルーシブ教育とは」「異文化理解とは」と色々語るけれど、結局それってどこがインクルーシブなの?この発表者の問題意識はどこにあって、問いは一体なんなんだろうというのが私には見えなかった。

ある発表の質疑のときに、これらのことばの共通理解がないまま話が進んでいるように感じたので、そもそもこれらの言葉の定義はされているのでしょうかと尋ねたところ、発表者の方は文科省の定義に少し触れつつも、この場での「定義はありません」とはっきりおっしゃっていました。それで次の質問にすぐに移行したとき、驚愕する私の様子を近くで聞いていた中学生の娘が「人の意見を聞こうっていうのがないんだろうね。質疑応答で色々考えるっていうより、発表会みたいだね」と一言とても腑に落ちるコメントをくれた。

問いの設定の大切さ、発表を聞いている人に何を考えてほしいのか、ビッグワードを使うことの危うさ、プレゼンをするときに大事なことって何だろうねという話を娘とできたことがこの学会に参加した一番の副次的な収穫かもしれない。

 

なんだか色々残念だったし、モヤモヤがたくさん残る時間になったのだけど、これはこれで日本の教育をとても反映していて色々考えるきっかけになった。

 

でも、ユニバーサルデザインだとかインクルーシブなんとかだとかを団体名に冠する組織は、その組織のあり方や大会運営そのものがその名にふさわしい運営をしているのか、しようとしているのか、ということをよく考えたほうがいいんじゃないだろうか。

たぶん、私はこういう研究会の中の先生たちからしたらきっとモンペならぬモンスターオーディエンスなのだろうけど、発表者の人たちはこの機会からどのような新しい気づきがあったのかな。

 

大変申し訳ありませんが、事務局では永井様がご覧になっている画面メッセージが再現できませんでした。
もう一度ごじしんが落ち着かれましたら、アクセスをお試しください。
どうぞよろしくお願いいたします