ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

ホロコーストミュージアム

ナチスによるユダヤ人の大虐殺の歴史について学べる施設 Holocaust Center for Humanity がシアトルにあります。日曜にしか開いてないのですが、月に一度、ホロコーストのサバイバーの方がいらっしゃって、質問ができるとのことで、つい先日訪問してきました。

 

ぱっと見た感じではミュージアムって気がつかなった。

 

ミュージアムの入り口に入るとすぐにごっつい防護服を着た守衛さんがいて、バッグの中身を全員しっかり確認したところで入場。

入り口から全体が見渡せるくらいの広さ。

なんとこの日、この時点での客は私たちだけ。(あとで一人だけ来た)

サバイバーの一人、ピーターさんが笑顔で出迎えてくれました。

まずはショートムービーを見たあと、一つ一つの展示をゆっくり回りました。

ピーターさんは一つ一つとても丁寧に説明してくださり、パネルの写真に写る子どもを指差したあと、その指を自分のほうに向けた時、「え、これピーターさん?」、と驚く私たちに満遍の笑みで返事。

 

ノート類の展示は正直中身が読み取れないものばかりだった中で、見覚えのある字があると思ったら、なんとカタカナが練習してあって驚きました。説明を見てみると、収容されていたユダヤ人の子どもが外国語の練習の中で日本語も学んでいた子がいたようです。

 

ピーターさんの家族で生き残ったのは、彼自身と母親だけ。

学校でとったと思われる子どもたちの集合写真を眺めているとき、ピーターさんは

「昨日までそこにいた友人が次の日に数人、消えているんだ」と言いました。

 

私は以前学校で働いていたけれど、もし自分の生徒がこのような状況に置かれたときに、何ができるんだろう。

「こんな時代では、教育や学校って、結局、無力だと思いますか」

って聞いてみた。

うまく伝えられないけれど、なんとかこういうことが聞きたくてやりとりをしたら、「こっちおいで」と言われて、さきほどより大きな写真パネルの前に案内されました。

そしてピーターさんが一言。

 

「彼らはね、みんな殺されたんだ」

 

この時、「あ、私の英語、通じなかったのかな」と思いました。

でも、そこにいた夫にあとでこの場面のことを話したとき、夫も同じように思ったらしいのですが、でもよく考えたら、あの写真にうつってた子どもたちの胸にはあの星のマークがついてたよね、と。

あのような状況で、先生たちも子どもたちと同じように殺される運命にあったとして、そこで教育に何ができたっていうのか。だって、みんな殺されたんだから、って、そういうことが言いたかったのかもしれない、って話す夫の言葉を聞いて、それならあの文脈もつながるな、と思いました。(ピーターさんにはこの時それ以上のことはなにも聞かなかったからその真意はわからないのですが。)

 

うちの下の娘はあまり本は読まないけれど、アンネの日記(いわゆる学習漫画)だけは繰り返し読むくらい好きみたい、って話を最後にしたとき、ピーターさんが娘のほうに目を向けてこんなことを言った。

 

「アンネが隠れて生活してた時、僕も隠れてたんだ。唯一の違いは、僕は生き残った。アンネはそれが叶わなかった。」

 

 

うちの下の娘の年齢は、まさにピーターさんがアメリカに来たときと同じ年齢。

 

「その時は私も英語ぜんぜんわからなくて大変だった」

 

 

ピーターさんは各地の学校を回って講演をされているとのことで、ミュージアムで購入した彼の自伝には、講演後に子どもたちや先生からもらった手紙が紹介されていました。

多くの子どもたちは、その日にピーターさんから聞いた話を家に帰ってから家族に話しており、さらには、後悔しないために、愛する人や大事な人に対して感謝や愛情をしっかり伝えておくこと、というピーターさんの言葉を「今できること」として実行している人が多くいたようです。

それぞれのエピソードはとても尊くて、美しいなと感じました。

 

でも、一方で現在の世界の状況を眺めたとき、過去に起きた悲劇をどう未来に伝え、そこから何を学べば、同じ過ちを繰り返さず、一人一人が自分の選択に責任を持って国を作っていくことができるんだろう、と考えずにはいられません。

本当に私たちは過去から何かを学んでるんだろうか。

 

私の中のモヤモヤで、最後までピーターさんには聞けなかった質問がありました。

 

「現在のイスラエルパレスチナの関係について、どう思いますか?」

 

後年、ピーターさん親子をかくまった夫妻の子孫たちはイスラエルホロコーストミュージアムよりその栄誉が讃えられ、メダルとサーティフィケイトが授けられたようです。”Righteous Among Nations"のリストにも加えられました。(かの有名な杉原千畝もそのうちの一人)

 

親子をかくまった夫妻の子孫に、ピーターさんが、あなたの両親は自分たちの命を危険にさらしてまで、どうしてあのような勇気ある行動ができたのかと尋ねたとき、

 

「彼らは、それが正しいことだと知っていたから」

 

という返答があったという言葉がありました。

 

これを見たとき、すごいなと思う一方で、ではユダヤ人を守ることを選択できなかったその他大勢の人々は「まちがっていた」と言えるんだろうか、という問いも浮かんできました。

自分が「正しい」と思うことをした結果、もしそれがばれたとき、自分の子どもや家族が全員殺される運命になると知っていて、それが自分にできるだろうか。

その場合の「正しさ」って?

 

この場所は、また機会を見つけてもう一度訪れてみたいなと思いました。

答えが容易には見つからないからこそ、考え続けていかないといけない問題なんだろうと感じます。