ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

アメリカ最高裁判事をめぐる性的暴行疑惑について思うこと

アメリ最高裁判事候補のブレット・カバナー氏が承認されることが濃厚になってきた。

 

性被害を訴えているフォード博士とカバナー氏が高校生だった頃、36年前の出来事をめぐってアメリカ社会は今、荒れに荒れている。

先日はワシントンの抗議デモで100人以上が逮捕されたとの報道。

 

www.cbsnews.com

 

カバナー氏の公聴会での様子は非常に見ていて不快なものだったし、これが最高裁判事の器なのかなと。そもそもトランプが好むような人物という事実だけで私には大きなバイアスがかかっているのだろうけど。

 

「それでも僕はやってない」というケースも確かに大きな問題だし、これはこれで一人の人間の人生を大きく狂わせているという意味では本当に罪が深い。「被害女性」とされる女性のみの意見が通るという社会の一面と合わせて私たちは考えていかないといけないのかもしれない。

 

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でも、それでも、私には今回のカバナー氏に関しては、「それでもボクはやってない」ようにはどうしても見えない。事実彼は、公聴会で「言うべきでないことを言った」、つまり平たく言えば「嘘をついた」と明言しているわけだし、なぜそういう「嘘」をついたのかを考えていくと、どう見ても臭い。自分が酒で酩酊することがあるのなら、良識のある人なら、「もしかしたら(酒の飲み過ぎで)自分の記憶が飛んでるだけで何か不適切なことをしたのかもしれない」と考えて素直に心から謝罪していたら、どれだけ印象が違っただろう。彼は、自分の過失の可能性への想像力や相手への思いやりの欠如だけでなく、自分の保身のためだけに怒りをあらわにして言葉を巻くしたてていた。彼が最高裁判事になったら保守派共和党の判事の数が民主党をさらに上回ることで、オバマケア、LGBTの権利、移民政策そして、女性の妊娠中絶に関して市民社会への影響も大きくなる。女性の体についての権限を保守派中年男(性的暴行疑惑者含む)たちが決定するという恐ろしさ。彼ら、女性の体から生まれてきといて何様なんだろう。

 

今回の件、様々な報道を読むたびに非常に心が重くなる。嫌な記憶が嫌でも蘇るからだ。私もまた中学生の時に塾の講師から性的ハラスメントを受けた。レイプされたわけではない。奴は私の体を使って自慰行為をしていたのだ。その塾に行くと、いつも4人くらいのメンバーで授業を受けていたのだけど、「うるさくなる」とかいう理由で時々バラバラの部屋に振り分けられた。なぜか私は和室に行かされることが数回あって、そこでそれは起きた。正座して座っている私のすぐ後ろに奴が至近距離から中腰で座る。それで、局部を私の背中からお尻の辺りにこすりつけてきた。耳元で気持ちの悪い喘ぎ声を聞かされながら数学の問題を解いた。「気持悪いな」と思いながら。当時は自分が何をされてるかもわからなかったし、何だか親にも言いにくいし、誰にも言わずにいたんだけど、ある時期に「先生気持悪いから塾やめたい」って母に言ったらすんなりやめさせてくれた。

かれこれ20年以上前のことだから、はっきり覚えてないこともあるんだけど、誰がどこで私に何をしたかだけははっきり覚えてる。まさに、100パーセント✋言える。

でもさ、これを、「証明しろ」って言われたら、本当にどうしたらいいかわからない。

 

今回はFBIの調査書が結果的にカバナーに有利な方に働いたようだけど、これもまたなんだかよくわからない。本当に必要な人物に必要なだけのインタビューをしたのか(たった一週間しかないのもどうなんだよ)、トランプからなんらかの圧力はかかってはいなかったのかはかなり疑問。

 

あと一つ不思議なことは、日本ではほとんどこのことが話題に上がってこないってこと。伊藤詩織さんの記事も先日読んだけど、本当に考えさせられる。勇気を振り絞って声をあげた被害者がなぜか叩かれる社会。

www.asahi.com

 

性犯罪の加害者が社会で強い権力や影響力を持っている場合に前に出て被害を訴えるというのは、注目も浴びやすいだけにすごく勇気のいること。伊藤さん、辛かっただろうな・・・。

 

フォードさんの、印象的で、すごく説得力があった公聴会での一言。

 

"I'm here today not because I want to be."

私は今日、望んでこの場にいるわけではありません。

"I am terrified."

私は怖くてたまりません。

"I am here becauese I believe it is my civic duty to tell what happened to me while Brett Kavanaugh and I were in high school."

私がここにいるのは、カバナー氏と私が高校生だった頃に私の身に起きたことについて伝えることは私の市民としての義務だと思うからです。

 

若気のいたり、という言葉があるように、高校生の頃の(カバナー氏は大学時代の友人たちの中にもその酒癖の悪さを証言する人物もいるわけだけど)”軽犯罪”で50すぎの大人が裁かれることに疑問を持つ人もいるかもしれないけれども、それでも、彼が得ようとしているのはそれだけの「資質」が求められるほどの地位だとも言える。

でも、きっと、カバナー氏も、彼の家族も、もう「普通の」暮らしはできないだろうな。たとえ最高裁判事に任命されて残りの生涯、安泰だとしても、それはきっと厳しいものになると思う。

 

でも、性的被害を受ける女性は世界中でものすごい数に上るわけで、この人たちが、再び「聞き取り調査」の名目で傷つけられることなく、すでにある傷が少しでも小さく、痛む時にはそれを少しでも和らげられるようなサポートのできる体制は、社会全体で作っていかないとダメなんだと思う。

 

特に子供の場合は、大人からこういうことをされた場合はすぐに周りの大人に助けを求めていいんだよって、小さい時から教育や家庭の中で教えていく必要もあるんじゃないだろか。男の子も、女の子も、子供はターゲットになりやすい。

 

「被害にあったらなんですぐ言わない」って平気でいう人いるけど、あれは間違ってる。しかも、正確さや具体性が求められればそれはさらにハードルが上がる。

私が通ってた塾でも、被害にあったのはおそらく私だけではないはず。でも、そんな噂は全く立たなかった。だからこそ、その先生は今もなお悪びれもせず、飄々と何事もなかったように、日常を生き、これからも生きてくんだと思う。

 

でも、そろそろ何かが変わってもいいはず。

 

フォード博士の行動は、確実に何かを変えた。

少なくとも、私の中で、小さな小さな声だけども、こうやって文章にして、少しでもこういう問題を、自分の身近で、それこそ誰にでも起こる問題として考えてみませんか、と訴えてみようと思わせてくれた。

 

こういった小さな声の数々が世界中で響けば、きっとまたそこから何かが変わっていくような気がする。