先日、久しぶりにダスティン・ホフマン主演の映画、「クレイマー、クレイマー」を見た。高校生のときに初めて見たけど、今になってみると一味も二味も違って見える。こういう映画って何度見ても新しい発見があるところが名作の所以なのかな。
ダスティン・ホフマン演じる仕事人間だったテッド。ある日、妻が出て行ってしまう。そこで残された5歳の息子、ビリーとの二人の生活が始まる。
息子との生活を通じて、テッドがどんどん父親になっていく様子がとても美しい。こういうの見てたら、やっぱり、一緒に時間を過ごすってことは本当に大事なことだと思う。
映画の中盤、公園で遊んでいたビリーがテッドの目前でジャングルジムから落ちて怪我をしてしまう。頭から血を流すビリーを抱きかかえて救急病院へ向かうテッド。病院では、医者がビリーの怪我の状態を見て10針ほど縫う必要があることを伝える。
次の場面。
医者:15分ほどかかりますので、外でお待ちください。
テッド:そばにいたい。
医者:その必要はありませんよ。
テッド:僕の息子だ。そばにいる。
This will take about 15 minutes,
so step over here.
I want to be in there with him.
- You don't need to be in there.
- He's my son.
If you're gonna do something,
I'm gonna be with him.
処置の間、テッドはビリーをそばで励まし続けている。
あ〜、こういう発想、なかったなぁって。
長女が3歳の頃、入院したことがあって点滴やら採血やらするたびに「外でお待ちください」って言われた。
私たちが部屋を出るのを見るやいなや、もちろん娘はありったけの声で泣き叫ぶわけで、私と旦那を呼ぶ声を聞くのが本当に辛かった。
なんで一緒にいてあげたらダメなんだろうって心底思ったけど、聞くに聞けなかった。
理由、ネットで調べてみたら、親がそばにいる方が子供が暴れて危険だとか、医療側は親にそういう光景を見せたくないとか(悪い評判をばら撒かれるから?)、なんだか、それらしいことはいろいろ書いてあるんだけど、
でも、それって、
誰のため?
オンラインの英会話というのは、こういうときとても便利で、フィリピンと南アフリカとイギリスの先生にこのことについて質問してみた。
イギリスの先生は、おそらく私が経験したように普通は親は部屋の外で待たされるんじゃないかと言ってた。
フィリピンの先生は、もと看護師だっただけあって、いろいろと話してくれた。「普通はその選択は親が望めば医療者側はそれを拒むことはできないはずだ。子供のガーディアン(両親や親戚等)にとって、それは権利じゃないか」と。彼の親戚の子供が入院した時には、採血なんかで子供が動かないように固定しておく役目は看護師ではなく親が中心になってやってたらしい。
子供が怖い思いをしている時に目の前で部屋から親が出て行くのを見るのって精神的にもっと怖い思いをさせてるよね、って話。
南アフリカの先生は2歳の男の子のお母さん。彼女は、自分なら絶対にそばにいると。もちろん状況にもよるだろうけど、テッドの行動には深く共感するとのこと。
ただ、南アフリカでは、病院は主に富裕層がいく私立の高額な病院と、その他大勢が行く国立の病院に分かれてるらしい。それで、国立の病院は看護師も医師も人手不足の上、ひどい待遇で働かされてるのでやる気ゼロ。
「彼女たちの場合、親がそばにいようがいまいが、まったく気にしないと思うわ!」
と言って豪快に笑った。
よく考えたら、こういうことって子供だけの話じゃなくて、うちのじいちゃんが亡くなる時にもあったなぁって思う。
私は小学生くらいだったけど、 狭い病室の中で医者と看護師がじいちゃんの周りで慌ただしく動く。そのうち、親戚全員が部屋の外に行くように言われた。それで、部屋に入ることが許可されたすぐ後にじいちゃんは亡くなった。
医者が「ご臨終です」って神妙な顔つきでいう、あの場面だ。
でも、やっぱりこれって何か違うよなぁって思う。
「部屋の外でお待ちください」
それは一体、誰のため?
今度、同じようなことがあったら、ダメもとでいいから、「そばにいたらダメですか?」ってお願いしてみようと思う。