ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

子供の素朴な疑問について

先日、夫の実家へ帰省したときのこと。夫の両親と夫と私と娘達でタクシーに乗っていたとき、その出来事は起きた。

みんなでタクシーに乗り込んで間もなく、下の娘(4歳)がおもむろにこんなことを義父に訪ねた。

「なんで、タクシーの人、髪の毛ないの?」

はっとして運転席に目をやると、そこにはきれいなスキンヘッドの後ろ頭。

 

義父が困ったようにこう答えた。

「う〜ん、剃ったからだよ」

すかさず娘がこう続ける。

「なんで剃ったの?」

これを受けて義母が助手席から声をかける。

「・・ちゃん、お外見てごらん、きれいなお花があるよ」

娘「なんで剃ったの?」

私「・・ちゃん!!(怒)」

 

沈黙を守る運転手さん。

 

タクシーをおりる際に、運転手さんに義母が「おつりは結構です」

と言っているのが聞こえた。笑顔で対応してくれた運転手さん。

 

本当すみません。

 

でも、こういう場面は今までも多かれ少なかれあった。子供のこの手の「素朴な疑問」に私たちはどう答えたらいいのか。特に、子供が話題としている相手が目の前にいる場合、多くの場合で私は言葉を失ってしまうのだけど。

「そんなこと言っちゃだめ!」っていうのは、子供にしたら「なんで?」ってなるだろうし、かといって、本人の目の前でいろいろと推測に基づいた説明をすることは難しい。

私の体にあるケロイドの傷を子供たちが「これなに?」って聞いてきたときには、私なりの説明の仕方もあるし、彼女たちを納得させることは可能だと思う。ただ、そういうことを見知らぬ子供に言われて不快な思いをする人というのがいるのも事実だし、そりゃ自分の身体的特徴を取り上げられて「なんでこうなの?」って言われてそんなにいい気持ちのする人のほうが少ないだろうと思う。

むしろ、「おじさんはね、暑いから髪の毛をそったんだよ」なんてコメントもらえればその一言で子供は

「ふーん、そっか」

終了・・・(彼らはおそらくそれ以上の追求はしない)。

となるのだろうけど。

 

この一件を受けて、思い出した童謡がある。

「ぞうさん」だ。

 

ぞうさん ぞうさん おはながながいのね

そうよ かあさんも ながいのよ

 

ぞうさん ぞうさん だれがすきなの

あのね かあさんが すきなのよ

 

「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」と問いかけたのは幼児で、「そうよ、かあさんもながいのよ」と答えたのは子象である。

 

手元にある「日本童謡辞典」によると、作詞者である、まどみちおさんはこの歌について次のように述べている。

 

この地球上の動物はみんな鼻は長くないのです。そういう状況の中で「お前は鼻が長いね」と言われたとしたら、それは「お前はへんだね」と言われたように受け取るのが普通だと思います。しかしこのゾウは、いかにも嬉しそうに、「そうよ、かあさんも長いのよ」と答えます。長いねと言ってくれたのが嬉しくてたまらないように、褒められたかのように。自分も長いだけではなく、自分の一番大好きな、この世で一番尊敬しているお母さんも長いのよ、と答えます。このゾウがこのように答えることが出来たのはなぜかといえば、それはこのゾウがかねがねゾウとして生かされていることを素晴らしいことだと思い、幸せに思い、有り難がっているからです。

 

 あの「ぞうさん」にこんなに深い意味が込められていたとは。

 

ただ、今回のようにスキンヘッドの人の場合をこの場合にあてはめてみるとちょっと無理がある。

例えばいわゆる禿が遺伝的要素が強いといえ、そのことをなんとかしたいと思ってる人は多くても素晴らしいことだと思ってる人というのは少数派だろう。

私であれば、

「かあさん、かあさん、ケロイドあるのね。

そうよ、ばあちゃんもそうなのよ。」

てなところだろうか。

(注:ケロイドは遺伝する場合もあるし、しない場合もあるよう。)

 

結局、子供が発するこの手の質問については、「事実←(遺伝だよ、またはこういう人もいるんだよ、といったレベルの情報)」を客観的に淡々と述べるというのが実際のとこ一番いいような気がする。

ほかの人たちと目立って違うところがあれば、それは子供なら自然に「なんでだろう」と疑問に思うだろう。

 

「おはながながいのね」

 

というコメントにたいして極めてシンプルな返答

 

「かあさんもそうなのよ」

 

このやり取りをあのゆったりとしたメロディで歌い上げる。

 

そして二番の

 

ぞうさん ぞうさん だれがすきなの

あのね かあさんが すきなのよ

 

「そうなんだ!僕/私もね、お母さんが好きなんだよ!」って声が聞こえてきそうだ。

 

無邪気に母親を慕う子象の様子が目に浮かぶ。

 

多くの幼い子どもたちたちにとって、共感とともにすぐに覚えてしまうフレーズであることは間違いない。