ほろほろ日記

こぼれ落ちる思い出を繋ぎ止めるメモ

10人目の友達

晩御飯を食べてたら次女が「Aさん、しいちゃんと同じなんだよ」という。詳しく聞いてみると、どうやら場面緘黙があるお子さんのよう。

 

「Aさんはね、Cさんとならお話できるんだよ。」

 

先生にも、小さな声で耳打ちして話せるよう。でも、彼女の声をちゃんと聞いたことのある人はごくごく限られた人数しかいないらしい。

 

そんなAさんが、学年発表会の朗読の代表に立候補したらしい。

小学校では、複数立候補者がいる場合、「オーディション」という名の選抜があるのだけど、今回も類にもれずクラス内で候補者がそれぞれ音読を披露して、聞いていた他の生徒たちが目を伏せた状態で多数決で決める。(なんだか人気投票みたいで私はあんまり好きじゃないけど)

 

Aさんは、最初の方はお友達と一緒に読んで、途中から一人で読んだとのこと。(最初から一人で読むのはハードル高いけど他の子と一緒なら読めることがあるのはうちの子もそう。うちの場合はひとりではまだ厳しそうだけど。先生、ちゃんと配慮してるな〜って思った。)

 

次女の感想は、

「かわいい声だった〜☺️」

 

 

さらに、「Aさんに手あげたの、一人だけだったよ。しいちゃん。Aさんせっかくがんばったから、手あげた。」

 

手、あげたんだ。

 

そうだよね、みんなの前で声出すのがどれだけ勇気いるかわかってるの、しいちゃんだよね。

 

緘黙にしろ何にしろ、自分にどうしようもなくできないことや苦手なことがあって、そのことでいろんな嫌な思いして、それでもなんとかやってきてる子たちの一番の強みって、人の弱さや苦手さに共感できるってことだと思う。

同じ緘黙でもAちゃんとうちの子ではまた色々と違うんだけど、それでもわかる部分っていうのもあって、そういうところを感じ取れるっていうのは人としてすごく大事なことなんじゃないかと思った。

 

Aさんと実は友達になりたい次女。

 

「中休みに、しいちゃん、Aさんの後をこっそりこっそり追いかけたんだよ。」
(ストーカーか!)

 

「トイレに入ってたらね、隣でね、Aさんが歌ってるのが聞こえたの!」

 

その後、初めてAさんとおしゃべりをしたらしい。

 

「これで友達10人になった」

 

次女の友達の定義は「話ができた子」。

 

いつも今まで何人と話したっていうのを教室で数えてる様子が目に浮かんで、なんだか切ないやら、いじらしいやら。

 

仲良くなれるといいね。